会社紹介当社の歴史

1976年から続く当社の歴史をご紹介

創業期

創業期

  • 19761 (昭和51年)

    高宏製作所として創業。照明器具のプレス加工業を開始。
    創業者(現専務の父とパート2人)で自宅横を工場化。

事業拡大と
設備導入

事業拡大と
設備導入

  • 1980 (昭和55年)

    社名を「高輝製作所」に変更。ベンダー機1M1台、スポット溶接機、プレス2台の設備を導入。
    社員3名、パート2人体制に。

  • 1981 (昭和56年)

    東大阪市内に事業内容拡大の為、工場を移転し、一か所体制に統合。
    ベンダー機3M1台、スポット溶接機、プレス2台、タレットパンチ、プレス1台(アマダ製)を導入。 社員5名、パート2人体制。

  • 1988 (昭和63年)

    平野区加美西(「ライトビーム株式会社」の1階)に工場を移転し、レーザー加工機を導入。
    ベンダー3台、溶接機3台、タレパン2台、レーザー加工機1台を導入。

平成時代の成長

平成時代の成長

  • 1989 (平成元年)

    ベンダー1台、溶接機3台、タレットパンチ1台を追加。自動原板送り機を購入。
    八尾商工会議所の紹介で「株式会社テラモト」からの受注を獲得。この頃から、照明器具だけでなく、溶接技術を駆使したディスプレイ商品の製作を手掛けるようになる。

  • 1996 (平成8年)

    「T.K.K」と取引を開始。「コクヨ」や「タテヤマ」等、BtoB事業として、仕事を受注。ディスプレイ商品加工技術が実を結ぶ形となる。

  • 2005 (平成17年)

    八尾商工会議所の紹介で株式会社徳山工業社と取引を開始。

  • 2007 (平成19年)

    新規プレス機を2台購入。

  • 2008 (平成20年)

    東大阪商工会議所の紹介で、ヤマトヨ産業との取引を開始。レーザー加工機を新規入れ替え、より精密な板金加工が可能になる。

  • 2011 (平成23年)

    「栄金属」との取引を開始。ディスプレイ製品製作の仕事を受注。同年8月に現工場へ移転。

経営の変化と
新たな挑戦

経営の変化と
新たな挑戦

  • 2016 (平成元年)

    代表(創業者・現社長)が病気で倒れる。以後は社長として経営に専念することとなる。
    後継者として、現専務(創業者の息子)が入社(令和5年12月専務就任)

  • 2019 (平成8年)

    「堀鋲螺株式会社」との取引を開始。板金加工、ディスプレイ商品の受注を主に受ける。